HISTORY 沿革 昭和2年6月 広島市中区水主町(現在 中区住吉町)大西誠が現地において広島運輸合資会社を設立、創業した。 昭和6年2月 広島運輸合資会社を改組し、商号を広島運輸株式会社とする。事務所、荷役場並びに倉庫の所在地を水主町より現在の元宇品町に移転、広島~大阪間貨物船定期航路の拡充を計る。㈱宇品造船所との取引開始。 昭和11年2月 広島運輸株式会社はトモエ回漕店を吸収合併して広急海上トラック株式会社に商号変更し、代表取締役 大西誠 就任。 昭和16年4月~昭和20年9月 企業整備令により休業。 昭和20年9月 業務を再開。 戦後、運輸業界の復興に貢献。 昭和23年7月 商号を広急海上トラック株式会社から大西運輸株式会社に変更、代表取締役 大西誠 就任。広島~大阪、広島~下関の貨物船定期航路が活発で企業拡大に努めた。 昭和25年10月 中国新聞社との取引開始。新聞巻取紙の保管、搬入作業の一貫作業を請負う。 昭和26年10月14日 広島に襲来した未曽有のルース台風により、1号倉庫とその荷役場が流出。ただちに、復旧した。 昭和33年9月 既設の1号、2号倉庫に併設して3号倉庫を新築。 昭和37年10月 大阪、下関貨物船定期航路廃止。 昭和38年8月 2号倉庫を近代的に改築。 昭和44年9月 中国新聞社の企業規模拡大、同社社屋新築に併せて、1号倉庫を近代的な新聞巻取紙専用倉庫に改築。併せて、広島宇品港区では、初めての全天候型荷役場を設ける。 昭和47年5月 中国新聞社創立80周年記念を期して、永年21年の表彰を受ける。以後、10年ごとの周年記念事業にて表彰を受ける。 昭和51年2月 当社 創始者 代表取締役 大西誠 死去。総会手続をもって、代表取締役に大西正勝 就任。 昭和52年12月 2号倉庫増築。(新聞巻取紙専用)収容能力が従来の約2倍になる。 昭和54年6月 中国印刷井口工場 新設に併せて、3号倉庫並びに事務所を近代的に改築。 昭和54年7月 聖教新聞広島現地印刷、昭和59年1月、日本経済新聞中国印刷印刷開始と同時に新聞巻取紙搬入作業開始。 昭和59年1月 中国新聞社井口工場 完成。 昭和62年6月 ハローデンイン向けNTT電話帳本文用巻取紙の取扱開始。併せて、県営出島倉庫を借用開始。 昭和63年10月 5号倉庫新築(新聞巻取紙C巻、D巻専用)。また、海岸保全のため県当局による護岸整備に伴い、1号倉庫並びにクレーン全面改善。(水深4.5m) 平成6年5月 リサイクル作業の古紙の船積作業を開始。 平成7年3月 商法改正により資本金1,000万円に増資。 平成12年5月 6号倉庫新築。高潮対策の倉庫。 平成13年4月 中国新聞福山制作センター稼働に伴い、大西運輸福山作業所を設置。取扱開始。 平成17年11月 新聞インキ専用の保管倉庫新築。(5号倉庫内)同時に、中国新聞広島制作センターへのインキの納入開始。 平成17年12月 安全性優良事業所の認定を受ける。(全日本トラック協会) 写真を見る 平成18年3月 トラック運送事業においてグリーン経営の認証を受ける。(交通エコロジー・モビリティ財団) 写真を見る 平成18年4月 大西正勝、旭日双光章を受賞。 平成21年3月 中国新聞広島制作センターにおいて、新聞巻取紙受入作業及びその付帯作業を開始。 平成29年6月 中国新聞社より、大西運輸創業90周年の祈念及び感謝状授与。 写真を見る 平成29年7月8日 代表取締役社長 大西正勝死去。総会手続を以て、平成29年7月12日、代表取締役社長に大西正朗、取締役に大西明美就任。 令和2年3月31日 中国新聞福山制作センター内大西運輸福山作業所を閉鎖。 令和5年5月19日〜21日 G7広島サミットが元宇品のグランドプリンスホテルを主会場として行われた。